Jan 24, 2011

Tange Kenzo and Wakkanai 丹下健三と稚内市都市計画

先日、日本を代表する建築家であり、都市設計家として知られる丹下健三が、北海道大学の太田研究室と共に、宗谷地方・稚内市の都市計画プロジェクトを立案していたことを知った。

国立情報学研究所の「丹下健三 稚内都市計画(1950-1952)をめぐって」に記載されている論文によれば、当時既に国際的に著名だった丹下健三氏は、現在の稚内駅(新・稚内駅)を中心に官庁、文化施設、体育施設、学校、総合病院などを配した新都心を建設し、南北に太い幹線道路を配置するプランを立案したという。その後、丹下案を元に都市計画が策定され、稚内駅周辺の市街地整備が行われた。


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現在の稚内駅周辺の地図を見ると、今から約60年前に描かれた丹下案の都市計画をしっかりと垣間見ることができる。稚内駅前を直進すると稚内郵便局があり、そこから道道106号線に沿って稚内市役所、稚内総合文化センター、NTT東日本稚内ビル、市立稚内病院といった公共施設が南に向かって計画的に配置されているのがよくわかるはずだ。

稚内市の都市計画は丹下氏が北海道で唯一手がけた都市計画であるが、計画立案時から約60年が経過しており、また、このことは一般にほとんど知られていない。しかし、現在の稚内市中心部にはしっかりと丹下氏の都市計画が根付いているのである。丹下氏の都市計画を思い浮かべながら稚内駅周辺を散策すれば、稚内の市街地に対する見方も随分と変わってくるのではないかと思う。